1.初めて生の英話に接する

さて、専門学校に関する本題から少し離れますが、前回後述するとした「英語」に関するブリーダーとしての関わりをしばしご紹介したいと思います。

先ずは私の入社1年目、当時のセイロン(現スリランカ)から二十歳過ぎの研修生が半年間農場に滞在することになりました。彼の名は「ラナシング」。治田場長からの事前の説明では、「ラナシングは、スリランカの農業大臣と縁のご子息で日本語はペラペラ、日本での生活にも何一つ不自由のない裕福なご家庭で育った優秀な若者だ」と聞かされました。従って「場員は一致団結一丸となって(不平を言うことを許さない場長の決まり文句)彼の指導に邁進してほしい」との通達です。

そんな優秀なラナシングと真っ先に比較されるのは我々新入社員に決まっています。入社早々大変なことになったと彼の登場を身構えて待つことになりました。ところが姿を見せた彼は、バリバリの国際派のイメージとは違って、瘠せ気味のなんだか気弱そうな若者でした。さらに、事前の説明とは違って英語はともかく日本語は全く話せませんでした。身構えていた私はなにやら拍子抜け。おかげで少し安心できました。

研修はまず、葉菜科で引き受けることになりましたが、当時葉菜科は春から秋の最盛期で栽培面積が6haにも及び、肥培管理は多忙を極めていました。さらに、先輩社員は英会話が苦手な方ばかりで、いちいち彼のために英語で実習の説明をしてくれません。この状況を察した治田場長から、私が彼の日常の世話係に指名されました。私にとってもこれが人生で初めて外国人と接する機会となったのです。

さて、彼はというと育ちがよいせいでしょうか体力が全くありません。「床土ふるい」「整地」「中耕除草」等の実習が始まると30分が過ぎるころには決まって、「Mr.Fukushima let`s take a break! I feel thirsty ! Give me something to drink!」と音をあげます。専攻生、本科生の手前、彼だけ特別に休憩させ水を飲ませるわけにいかず、「No! Go on with your work!」と、すげなく却下していました。今なら虐待だと訴えられるレベルです。彼にも大変辛い経験をさせてしまったと思います。しかし、当時は外国人に対して「No」と言うのは、結構勇気がいりました。ある意味怖いもの知らずの新人でした。

そんな彼と接し、最初に驚いたのがやはり英語の発音の違いです。「3」の発音は「スリー」と習いましたが彼は「ツリー」と発音します。本社の外国部長にこのことを話すと、彼は巻き舌だからそんな発音になるんだろうと。彼の話す英語に慣れるまでずいぶん苦労しました。二番目に驚いたのが何事もすべてマイペース。はっきり言って動きがスローなのです。一緒に作業する専攻生がいちいち待たされることに苛立ち「ここはタキイやで!急がんか!!」と日本語で叱責しますが無論彼には言葉が通じません。とうとう専攻生の間ではいつの間にか彼の名前は「ダラシング」へと呼び名が変わってしまいました。

流石にこのままではいけないと一念発起し、彼とコミュニケーションをとるため思い切って当時流行の英語教材だったリンガフォンとカセットラジオを自費で購入し会話を練習しようと考えました。カセットテープは20巻くらいあったと思いますが、案の定学習は3巻あたりでストップ。研究農場で一番ハードな「夏の陣」を迎え帰宅後はへとへと。英会話どころではなくなり、いつの間にかラジオカセットだけラナシングの部屋へと移動、テープは眠ったままの状態になってしまいました。やがて彼も帰国。ラナシングの世話を任されたことで、人生初の生身の外国人と母国語以外で接した貴重な経験となりましたが、決して十分なコミュニケーションがとれたとは言えず、ほろ苦い経験となりました。

2.英語は欠かせないツールだと気づく
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