第7回

冬の風景〜「準備の冬」

冬には農閑期でなければできない重要な実習作業がありました。それが暗渠(あんきょ)掘りです。今風に言い換えれば冬の間にインフラ整備をしておこうというものです。
それを乗り越えれば、ウサギ狩り、寮祭と一年を締めくくる大きな伝統行事も待っています。

1.暗渠掘り

冬季実習で忘れられないのが暗渠掘りです。
1971年2月、入社2年目の冬から暗渠掘りは始まりました。
広い圃場は東西、南北それぞれ2%の勾配が設けてありますが、この勾配だけでは圃場の自然排水は絶望的でした。このため葉菜科は4号、5号圃場で25mの畝を8mの小畝に3分割し、畝の頭と後尾の生育差を防ぎますが、その効果は不十分でした。圃場排水は農場の最重要課題となり暗渠埋設工事が計画され、各科が担当圃場の年間埋設工事計画を立て、それに従って農閑期を使って実施します。

道具は原始的なものばかり、あとは人力(1975年)。
道具は原始的なものばかり、あとは人力(1975年)。

当時は暗渠資材、暗渠掘機類はなく、すべて自然の恵み粗朶(そだ)と生徒の人力が頼りでした。まず、毎年行う2月上旬の山林愛護デーで刈り取られた粗朶を集め埋設資材として利用します。次に、幅25m×長さ200mの各圃場に、幅8m×長さ200m×深さ60cmの明渠を、ツルハシ、バチ、備中鍬(くわ)、スコップを使い人力で掘ります。掘り起こした土で両サイドは60p以上盛り上がり、まるで戦争映画の「塹壕(ざんごう)」のようです。当初は年間、各科1本ずつしか掘れませんでした。その理由は粗朶が制限要素となったからです。

掘り起こしてみると同一圃場でも西側と東側では土壌がまったく違います。特に4号圃場は、東側40mは完全な真砂土で容易に掘れますが、西側50mは完全な粘土の還元層で、かたい青色の厚さ1尺以上の粘土盤が横たわり、ツルハシを力一杯振りおろしても跳ね返ってしまうので大変苦労しました。
掘るに当たって目板で底辺60cm×高さ60cm×幅60cmの定規を20枚作り、各自に1枚ずつ配り、1人当たり約10mの暗渠掘り競争の開始です。生徒、専攻生、若手社員、約20名で挑戦しますが1日1本が限界です。翌日は粗朶を明渠に敷き詰め全員でよく踏み固め、その上に50cmの厚さに籾殻を敷き
さらに踏み固め、これまた競争で土を戻します。

20cmの太い孟宗竹を取り寄せ、節を抜き、200mの長さに差し込み直します(1972年)。
20cmの太い孟宗竹を取り寄せ、節を抜き、200mの長さに差し込み直します(1972年)。

雨にあうと明渠に泥水が入り、そのくみ上げが大変な手間で、天候を見計らっての突貫工事で2日間の晴天が勝負の鍵でした。とにかく、全員が夢中で掘り起こしていました。
最後尾の西側末端は排水が合流するのでT字の溝は大きめに掘り、大型機械やトラックが通っても踏みつぶされないように廃品の大型U字溝を逆さまにかぶせ、暗渠を保護し埋め戻します。

粗朶を均等に敷き詰め、踏み固めるのには大変苦労しました。そこで3年後、その改良版として、京都長岡にあった治田場長ご自宅敷地内の竹林から、直径20cmの太い孟宗竹を取り寄せ、節を抜き、200mの長さに差し込み直し、竹の回りに粗朶を巻き付ける方法に切り替えました。長さ200m×直径60cmの巨大な海苔巻きを想像してください。

この海苔巻きを作るのに丸3日はかかりました。まず圃場にX型の土台を組み、その上に竹を並べ、粗朶を均等に巻き付けます。でき上がった200mの海苔巻きは圧巻です、まるで神話の八岐大蛇(やまたのおろち)を思い起こさせる巨大な代物です。
この海苔巻きを明渠へ埋設するのが、また大変な仕事で、もちろん全員総出の作業です。明渠の中に余分な土が少しでも落ちないように細心の注意が必要でした。この方法は暗渠掘機によるプラスチックのトリカルパイプ埋設に取って代わる昭和の末期まで続きました。結論を先に言うと、古老の知恵を生かした昭和の暗渠は現在でも機能しています。一方、機械掘トリカルパイプの平成の暗渠は5年もするとその機能を失います。掘り起こすと雑草の根がパイプの目を塞ぎ、大型機械の重量でパイプが潰れ部分的に滞水し、水が吹き出すこともありました。4号、5号の西側の土手を通るたび、45年経っても今でも排水機能を発揮する古老の知恵に脱帽です。

この暗渠排水工事は平成元年から北海道の長沼農場でも体験しましたが、現地では粗朶でなく素焼きの筒や採石の砂利を使用し、その耐用年数は長期に及びます。45年間の農場勤務はどこにいてもこの排水との戦いだったと言っても過言ではありません。「干ばつに不作なし」の言葉通り、野菜栽培の原点は排水のよい土づくりが基本です。「言うは易く行うは難し」、現在も甲西農場は言うにおよばず、各農場とも排水と戦い続けています。

回顧録TOPへ戻る