最終回

そして卒業へ

1年間の寮生活で鍛えられた本科生にとって、いよいよ巣立ちのときです。
就職、就農、専攻科進学など進路を決める大切な時期を迎えます。非農家出身者にとっては厳しい現実と向き合うことにもなります。

1.くじけそうな生徒、乗り越えるのはライバルの絆

昭和50年代、実習班は6名ずつの10班に分かれ、班単位で各科を毎日移動して実習していました。果菜の交配が終了する6月ごろには、自然に優秀な班とそうでない班に色分けされます。
昭和52年の第6班は優秀班でした。6班の本科生A君とS君は二人とも口数が少なく真面目な性格。しかもともに身長180㎝、体重90㎏の巨体です。気が合ったこの二人ですが、実習ではお互いライバルとして競争します。

8月の整地実習でS君は他の班員と同じように身体が動かなくなり焦りのためか、くじけそうになります。するとA君は自分の畝を急いで仕上げるや、遅れているS君の畝に飛び込み、何も言わず必死に畝仕上げを助けます。追い打ちをかけるように9月にはS君を不慮の事故がおそい、怪我で実習について行けず、ますますめげそうになりますが、A君は定植、中耕除草、追肥と年内いっぱいS君をカバーし続けます。ほかの科の若手社員に聞くと、よその科の実習でも同じようにA君はS君を助けている様子です。

S君は私が責任を持つ部屋員の一人で、部屋長もこの状況をよく把握しておりS君を陰で支えていました。途中でくじけそうになると、必ず助ける仲間がいるのが本校の伝統です。厳しい実習は、お互い助け合わないと乗り越えられないし、ほかの班に後れを取ることになります。班の名誉にかけても負けたくないという連帯感、絆の強さは今の生徒たちとは比較にならないほど強固で、そのことへの矜持がありました。
このA君、7時の朝食は必ず先頭に並び、出寮は一番早く、座学の成績もよい。実習も積極的に取り組みますが自分の能力を誇示するようなこともなく、常に控え目で決して怒ることすらありません。2年目の専攻科進学を強く勧めましたが、ご本人が辞退されたのは残念でした。僅か1年間のことですが、A君のように他人のために必死に頑張る生徒が毎年必ずいるからこそ、若葉寮が存続していると密かに思っています。
A君は本科卒業後、郷里の町役場へ就職、そのやさしい心と強い信念で町興しの花壇づくりを自ら行ったと聞いています。一方、S君は専攻科に進学し、卒業後は郷里の九州でハウスを主体とした大都市近郊農業に邁進し活躍しています。

昭和52年、夏、整地実習。
昭和52年、夏、整地実習。

見ると乗るとでは大違い!憧れのFORD4000

長靴をはいての全力疾走、何かと人力作業による実習が中心の農場にあって、FORD4000で颯爽と現れ、大型トラクターを悠々と運転する先輩の姿は、実に格好がよく、自分たちも早くこれに乗って整地作業をしたいものだと憧れました。しかし、いざオペレーターを任されるようになると、先ずは農場に1台しかないこいつの使用権をめぐり各科と熾烈な争奪戦が始まります。
整地予定日の前日はこれを確保するため、早めに鍵を分捕って肌身離さず大事に保管したものです。さらに整地当日は、土壌を少しでも早く乾かすため、早朝3時から出勤し、一人鋤き起こしを開始して備えます。
キャビンのないこの機種は排気熱が直接両足に吹きつけ、そのままではやけどをするため長靴に水を入れて運転しますが、すぐお湯になってしまいます。さらに頭上からギラギラと照りつける太陽を遮るものがなく、手拭いを頭に巻いて強い直射日光に耐える以外、運転席では逃げる術はありません。
そのうえ、運転中の騒音はすさまじいのですが、常に五感を研ぎ澄ましエンジン、ロータリーなどの機械に異常がないか細心の注意を払う必要があります。終日運転すると耳はエンジンの騒音ですっかりまひし、直射日光で意識はもうろうとなり、車体の振動で腰も砕け、降車するころには足もとはフラフラの状態です。
それでも耕耘後はロータリーの爪を交換し、グリースアップ、オイルやエアーフィルター点検・交換と夜遅くまで整備に精を出します。オペレーターは端から見ればらくちんで楽しそうでしたが、実際は強靱な体力、忍耐力、細心の注意力が必要な大変な役目と知りました。
しかし、なんと言っても整地は大型機械が主役、天候を見極めながら本隊へ整地を指示し、現場の司令塔となるのがこのFORD4000のオペレーターです。整地をやり遂げたあとは、達成感と心地よい疲労感に浸れるのも事実です。成人男子たるもの、この司令塔を任されれば農場でも一人前として認められたといっても過言ではないでしょう。先輩たちも整地の司令官として多くの生徒、社員を現場で指揮するやり甲斐を直接肌で感じていたに違いありません。

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