「星の郷青空市」繁盛記 直売所創設期を回顧して

2017/02/20掲載

タキイ園芸専門学校第39回卒業の張谷さん。

タキイ園芸専門学校第39回卒業の張谷さん。
現在は「星の郷青空市」代表取締役として地域の活性化に貢献されている。

 農産物直売所は実質的農産物販売シェアにおいて売上高1〜2兆円規模の大手流通業に匹敵するといわれ、その原型は店舗をもたない「朝市」に見ることができます。こうした「青空市」や「無人販売所」も試みは各地であったものの農産物の流通は地方卸売市場、中央卸売市場などを中心に整備され産地は農協系統流通が中心である中、農協に出荷できない規格外品などが並ぶところという位置づけでした。「直売所」が世間に注目されだしたのは、平成10年ごろで、マスコミで取り上げられるようになって以降です。
 タキイ最前線2017年春種特集号「みんなイキイキ直売所訪問」で紹介した直売所「星の郷青空市」の代表、筆者の張谷さんは、世間にまだ「直売所」という言葉がない時代、昭和62年に直売所を立ち上げた草分け的存在です。WEB+では星の郷青空市の創設期や1年の催し、運営についてなどを紹介していただき、「直売所」がどのように地域に定着し、求められるようになっていったのかを探っていただきたいと思います(編集部)。

昭和50年代の美星町

 このころ全国的に町おこしの機運が芽生えてきており、昭和50年代後半から、農家による道路脇の無人直売所も多数開設されるようになりました。
 我が美星町では、道路の整備、土地基盤整備、畑地かんがい整備事業が順調に進む中、観光(中世夢が原の計画策定・平成4年開園、美星天文台・平成5年設置)、工業誘致、農業振興に向け、町を挙げての取り組みが進んでいました。ただ、当時の美星町は知名度が低くて来町者も少なく、農業が盛んでも「これ」という作物がない状態でした。

新樹会が開設に取り組むきっかけ

 農業後継者グループ「新樹会」は50年代後半、新メンバー2名が加入し、ほとんどが30代半ばのメンバーで、新たな活動を考えていました。そこで美星町に人を呼び込み、農産物と美星町のPRができたらと考え、農産物の直売を自分たちでやってみようというアイデアが浮かんだのです。
 そのアイデアが当時、会長をしていた私のところにもち込まれ、昭和61年の11月ごろに新樹会の全員で話し合いを行いました。いろいろな意見があり、反対意見もあったが、今ここで動かないとじり貧になっていくのではないかという思いがあり「どがーになるかわからんけーど、やるだけやってみゅーやー」と、星の郷青空市の開設に向け、みんなで動き始めたのです。
 しかし、青空市を何人もの人が集まり組織だって行っているところがない時代で、運営や出荷のルールを参考にする施設は見つかりません。青空市を開設するための基本的な考えである目的から、手数料などの出荷に関することなどを何度も話し合い、一つずつみんなで頭をひねりながら決めていったため、開設までかなり時間がかかってしまいました。苦労の末にできた規約は後に、村おこしや地域の活動の取り組みなどを研究されている大学教授から「西日本直売所のルールの発祥地」と評価されるようになりました。

星の郷青空市開設

 開設は昭和62年6月20日(土)、開設資金は、新樹会の昭和61年度の予算を使用することを町や農協に了解いただき、会費2年分を使ってまかなうことにしました。しかし、建物を建てるだけの資金はなかったので新樹会の会員2人が美星町にお願いに行きました。しかし、「テントが2張り余っとるけー、あれを使えばやるぞ」と言われ、無人の直売所「星の郷青空市」のはじめの1歩は、折りたたみテント1張りからの始まりだったのです。
 開設当初、出荷者に登録してくださった方は約20名程度。JAの有線放送での募集や知り合いの人に声をかけて、協力してくださる方を集めました。
 開設から1カ月後には、販売量の増加とともに、お客様から「野菜の説明や美星に来られた人の接客を」との要望があり、無人販売から有人販売へと変え、夏野菜は毎日収穫するからと、土日のみの営業が毎日になりました。
 野菜に続き、桃などの果物、花きなども並ぶようになり、販売する種類も量も増えていく中で、最初1つだったテントが2つになり、牛乳の販売を始めるときには保健所の許可を取るためにプレハブを建てるなど、施設の充実に力を注いでいきます。

折りたたみテント1張りから始まった「星の郷青空市」。

折りたたみテント1張りから始まった「星の郷青空市」。

青空市の様子。

青空市の様子。

苦労の創設期、ふるさと創生1億円に応募

 昭和62年の11月には、本格的な規模拡大の第1歩を踏みだす、販売所兼イベント用8m角のテントを導入しました。しかし、導入を決めるときは、決定事項や連絡事項の全員共有の不徹底、みんなの考えの違いなど多くの問題が発生し、夜遅くまでの話し合いを何日も行い大変でした。しかしこの話し合いが、現在まで続く青空市の考え方や規模拡大の基礎となったのです。
 翌年3月にはログハウスを建設、8月には8m角テントの増設と、お客様の増加とともに施設の拡充を行い、出荷者も増え、売り上げが多くなるなかで、裏方となった新樹会のメンバーには、本業である農業以外の仕事が多くなりその負担が重くのしかかっていきます。何をするにも初めてのことで、おもしろいけれど大変な創設期でした。
 創設3年目にはお客様の数や売り上げは順調に伸びていき、敷地が手狭になり施設の拡充が困難に。駐車場も少なかったために交差点の両側に車が止まって交通の妨げになるなどの問題が起こりました。
 そんな時、新聞に「ふるさと創生1億円補助金」の記事が目に入り、「なんでも使える補助金らしいから、どうにか青空市の移転に使えないか」と現在地への移転計画が進み出したのです。その計画を町役場が採用し、平成3年4月に「星の郷産直プラザ」を建設し移転。このことは、現在の青空市の姿を形作る大きな事業となりました。

昭和63年テント横にログハウスを建設。

昭和63年テント横にログハウスを建設。

「星の郷産直プラザ」を建設し移転。駐車場の問題も解消された。

「星の郷産直プラザ」を建設し移転。駐車場の問題も解消された。

 そしてそのころから直売所の開設のため、全国から地域のグループ、JA、行政などの視察がどんどん増えていきました(多い年には120組以上)。農業者として農業活性化の役に立てるならと、視察を受け入れ星の郷青空市に関することはすべてお教えしました。

任意団体からの脱皮

 移転3年目の平成5年度には、それまでの活動が認められ岡山県の代表として応募した、農林水産省の「豊かなむらづくり表彰」で農林水産大臣賞を受賞することができました。
 しかし、そのころ大きな問題が発生しました。なんとか採算ベースになってくると税金や従業員の社会保険などが問題となり、任意団体運営の限界が見えてきたのです。そういった問題の解決策として、また星の郷青空市を継続的に運営するために法人化を決意しました。
 法人化の形態については、「農業関連法人」を一番に考えたのですが、形態的に難しいということで、対外的な信用や、運営形態などの理由から最終的に「株式会社」となりました。法人設立に当たっては、それまでの新樹会の会員中13名が均等に出資をして、平成6年3月1日に星の郷青空市は株式会社となったのです。

多額の施設投資となる農産加工場の建設

 参加の農家数も増える中での連絡網として、平成7年に青空市が半額を負担して出荷者にFAXを設置してもらいました。また翌年3月には、レジ業務の平準化、データー活用、出荷者支払清算事務の合理化などのため、当時直売所ではまだ珍しかったPOSシステムも導入しました(中四国地域では1番!?)。
 平成3年の移転時には必要最小限の施設整備でしたが、その後いろいろな施設の建設により、機能の充実を図ってきました。中でも、平成10年3月には一番大きな施設投資となる農産加工場を建設。美星の原料を使い、新しい美星の名物を作りたいとの思いの中からこの農産加工場は生まれたのです。ただ、建設に多くの補助金をいただいたのですが、多額の建設費用や商品開発など軌道に乗せるまでは大変で、法人化以来はじめての3期連続の赤字決算になるという難しさでした。

新鮮な野菜・果物・花が並んでいる。

新鮮な野菜・果物・花が並んでいる。

加工品売場の様子。

加工品売場の様子。

※物品販売の売り上げ実績を単品単位で集計すること。

この10年とこれから

 20周年を迎える年の3月には、県の推薦により平成18年度の地産地消優良活動表彰の「農林水産省生産局長賞」をいただき、8月には、岡山県民として最高の栄誉である「岡山県三木記念賞助成金の産業部門賞」を受賞いたしました。
 今年30周年を迎えますが、3000万円から始まった売り上げは平成10年度に秋野菜の暴騰により5億円を超え、その後は4億円前後の状態が続いています。ここ10年ぐらいは、他の直売所との競合が始まり、消費地に近い大型の直売所がオープンすると1〜2年お客さんが減少し、また盛り返すという状態が続いています。30周年を迎え、開設初期のメンバーもそろそろ運営からの引退の時期が来ているので、次の世代の後継者にバトンを渡しながら、これからも多くの方と力を合わせて、「星の郷青空市」の活動を、井原市および美星の活性化・農業の振興をリードし続けていける存在として、未来に向けて続けていきたいと考えます。

現在の「星の郷青空市」。朝早くから大勢のお客様で賑わっている。

現在の「星の郷青空市」。朝早くから大勢のお客様で賑わっている。

次回は直販所の一年をテーマに、2017年秋種特集号[Webプラス]にて掲載予定です