「耐病総太り」回顧録 前編

2016/02/22掲載

第1章

青首ダイコン周年供給の第一歩“耐病・早太り・そろう”

  「耐病総太り」発売のころ、周年供給の動きが各産地で広がり、日本各地の青首地帯では周年対応に苦慮していました。在来種で出荷を早めようとすれば病害が問題となり、適期栽培の青首は、特定の産地以外では地場消費にとどまり、遠距離出荷は白首品種による対応が大方でした。

  「耐病総太り」は「総太り宮重」よりも一段強い耐病性と“形が早く整う”という特長をもたせ、周年栽培向きの品種となりました。早速、早出しを企画した産地の試作栽培圃場から力強い歓呼の声が上がりました。 また、尻詰まりがよく、そろっていることが一層商品化率を上げ、従来種との格差を歴然と示しました。当時、山形県野菜専門技術員だった鈴木洋氏は、「初めて本種と出会ったのは、山形園試で全日本秋大根原種審査会に出品された際だが、耐病性は当然のことながら、均一な生育と根身のそろいのよさにびっくりしたのを思い出す。まだ試作番号だったが、当然のごとく上位入賞を果たした」とその時の衝撃を回想されています。

昭和49年に発売の「耐病総太り」。

期待以上に仕上がった特性“ス知らず”

  「耐病総太り」は「宮重」のおいしさを維持しながら、従来種より暑い時期にも耐える耐病性と、形が早く整い、早出しできる、そのうえ“ス知らず”が大きい育種目標とされました。ス入りとは、ダイコンの老化現象で、内部はスカスカ、ひどくなると穴あきとなり、当然のこと商品価値はなくなります。一般に早生品種はスが早い傾向にありますが、「耐病総太り」はいつまでも老化せずに若々しく太り続ける特性をもっているためか、早どりできる品種にもかかわらず、スが遅い品質に仕上がりました。市価を見ながら圃場で出荷期を安心して決めることができました。また、寒冷地の貯蔵ダイコンとしての品質向上にも貢献します。このス知らずともいえるス入りの遅い本種の特性が、青首ダイコン産地に活性と安定をもたらし、産地を大きくしていった要因といっても過言ではありません。

昭和50年代には多くのダイコン産地で「耐病総太り」が導入されていった。昭和53年滋賀県中主町にて撮影。

品種の幅を広げた第5の特性

  秋ダイコンには抽苔の早いものが多いですが、「耐病総太り」は幸いにも不時抽苔の危険が少ないことが冷涼地の試作で確認されました。秋ダイコンにはない抽苔の鈍さが、冷涼地での作型に広がりを見せることになり、また暖地でもトンネル栽培などが始まって、青首の周年供給に貢献することとなりました(写真5、6)

  当時のタキイでこの育種に携わった山下俊正(当時根菜科長)は、発売から2年後の昭和51年に「耐病総太り」の人気について以下のように記しています。

  「幸いにして本種の栽培地は広がり、北海道から沖縄まで全国各地に産地ができたが、多少異常とさえ思えるこの人気は何によるものだろうか、早く太って形がまとまり、病気にもかなり強いということがもちろん第一の理由として、それと同時に見逃せないのが、本種は早どり用の品種にもかかわらずス入りが非常に遅いことがあげられる。収穫期の幅が広く、安心して栽培できるのみならず、場所によっては遅出し用として、あるいは北海道など寒冷地の貯蔵用ダイコンとして好評であるなど、栽培の幅が人気を盛り上げている。加えて歓迎された特長は、高冷地栽培での不時抽苔の危険が一般の秋ダイコンより少ないということ。これは、育成時に早どりとして望ましい特性だと考えていたが、積極的に早期抽苔性を淘汰したわけではないので、いわば怪我の功名。耐病性と相まって高冷地での8月出荷が安心できるようになった』と、分析しています。

写真5 写真6
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