「耐病総太り」回顧録 前編

2016/02/22掲載

第2章

中京・関西市場向け指定産地で一番の反響

  富山県では秋冬ダイコンの作付面積が昭和48年には648ha、その内240haが国の指定産地というダイコン生産拠点でした。指定産地の立野原、とやま、新川地域にはひと足早く昭和47年に「耐病総太り」が導入されています。立野原、新川地域から主として関西市場、とやま地域は県内の富山・高岡市場へ主に出荷されていた関係で、栽培品種はほとんどが青首「宮重」の総太り系、長太系、切太系の固定種でしたが、どれもウイルス病に弱く、根部の形状は曲がりダイコンになりやすいと上級品の出荷は少ない状況でした。こうしてもともと「宮重」になじみが深かった中京・関西市場において「耐病総太り」への転換は、“青首=「耐病総太り」”のイメージになっていたと思われます。

  当時の状況について富山農試砺波園芸分場主任研究員であった西川久夫氏は、「従来の固定種に比べて格段によくそろい、曲がりが少なく、病気(ウイルス、黒斑細菌病、軟腐病)にも強く、葉が短くて取り扱いやすい、そのうえ出荷本数が20〜30%増加し、すばらしい成績を上げて“今年は絶対『耐病総太り』にしたい”という農家の声をよく聞いた」といいます。西川氏は試験場にて昭和48年に実施された推奨品種選定試験を担当し、「耐病総太り」の圧倒的な有望性を報告しています。また、富山県種苗協会主催の秋大根原種コンクールにおいて、昭和47、48年の2年連続して「耐病総太り」が第一位を獲得しました。

冷涼地でも好評「耐病総太り」

  いち早く「耐病総太り」が導入された産地の一つ岐阜県ひるがの高原は、標高約900mの高冷地のダイコン指定産地で、集出荷所・大型洗浄機・トラクターなどの装置化が進んでいました。夏ダイコンの品種構成は「春蒔みの早生」「夏みの早生一号」「夏みの早生二号」「総太り宮重」でした。

  当時、農業改良普及員長尾幹氏によると『総太り宮重』は味の点で市場からの要望が強かったが、冷涼地とはいえ『みの早生』とは違って、高温時の栽培は病気(軟腐病、ウイルス病)や生理障害、また葉の過繁茂による肥大不足、場合によっては抽苔まであって営利栽培は無理と考えていた時、幸運にも『耐病総太り』が登場し、この試作で青首ダイコン早出しの見込みがつき、産地として一歩先を行けると組合員の気持ちが盛り上がった」と記されています。

  ひるがの高原と並ぶ大阪市場の主産地、準高冷地蒜山高原(岡山県、500〜600m)でも10月出荷は「みの早生」から「耐病総太り」に切り替えることで、石川県の地ダイコン「源助」と対等に勝負したといいます。

昭和50年岡山県蒜山高原での「耐病総太り」収穫作業風景。

東北・山形でも悩みが一度に解決

  地元の種苗店、高橋清四郎商店(現・(株)上町のタネ)主、高橋清一郎さんの記述によると、
「ウイルス病が次第に増える状況下で、山形市周辺から高冷地にかけて内陸部で栽培されていた青首総太り系を耐病性のある「大蔵」に転換させようとしたものの、青首の根強い人気からうまく行かなかった折り、『耐病総太り』の登場で救われた心境である」と語っています。さらに「秋冷の寒地の弱日射でも肥大がとてもよい。抽根性が強いにもかかわらず、『長太宮重』のように曲がりが出ず、圃場に置けば次第に長さのある総太りのほれぼれする形になる。調査に行くのが遅れて根茎8〜9cmにもなった圃場があったが、ス入りの兆候はなく、農家に叱られずに済んだ印象がなお脳裏に焼きついている」とし、自信をもって販売できる優秀な品種だと結んでいます。

北九州で鼻高々

  西日本では、北九州市場に出荷する下関市椋野町の専業農家植村次男さんの声が残っています。

「昭和47年の秋、滋賀県の研究農場の展示会で見た『試交119号』(『耐病総太り』)を一日でも早く、栽培してみたいと思い無理勝手にお願いしたところ、翌年試作の機会を得た。

下関と北九州地方は以前から『総太り宮重』を多く栽培しているが、私の地方は昔からの野菜地帯で、土地が老朽化して病気が多く、従来品種ではまったく収穫皆無の年もあった。

『試交119号』は8月20日に播種したが品質は見事なもので肌は美しく、太り、長さともよくそろい、ス入りなど1本もなかった。北九州市場に出荷したが、従来種など比較にならず人気最高で鼻高々だった』と地元市場で驚きをもって迎えられた様子を伝えています。

新興産地が「源助」と競ってトップに

  福井県の坂井丘陵地は国営の開拓事業により、広大な畑作地帯となりました(写真7)。基幹作物はスイカとダイコンで、ダイコンは「耐病総太り」に統一され、昭和48年5haだったダイコンが51年には77haとなり、出荷量でも主たる大阪市場で見ると、「耐病総太り」の産地化に着手してから49年344t、右肩上がりに51年には1939tと県別入荷量1位になり、価格も石川県の「源助」(写真8)を抜いて市場最高価格で取引されました。このように「耐病総太り」は新興産地にも大きく寄与しました。

写真7、8

※正式な品種名には「○○大根」とつく名称がありますが、“ダイコン”が頻出するため省略しています(編集部)。
※地名、会社・部所属・役職名については、昭和48〜61年の「園芸新知識」から引用し、当時の名称を表記しており、現在の名称とは異なる場合があります(編集部)。

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後編は、2017年春種特集号 webplus にて掲載予定です。