2018/07/20掲載
日本でのハクサイ栽培の歴史の始まりは明治時代以降。短期間に大きな収量を得ることができ、米食との相性のよさから、その後栽培・消費は急激に増加、1968年には全国で5万800haの栽培面積と186万7000tの生産量で、史上最高の数値となりました。
タキイでは1950年に自家不和合性による世界発のF1品種「長岡交配一号」を生み出しています。その後、他社でもF1化が進み、味のよさを追求して多種多様な品種が生み出されていきます。そのなかで、黄芯系ハクサイ自体は、1960年代に品種としては育成されていましたが、当時のハクサイはカットせず一家に1玉での販売が普通だったので、味はよくても差別化できず、市場には出回っていませんでした。当時の主流は球内色の白いハクサイだったのです。
ところが、1980年代後半に起こった緑黄色野菜ブームの影響で、黄芯系ハクサイが一躍注目を集めるようになります。さらに、生活様式や食生活の欧米化によりハクサイの栽培・消費に減少がみられ、これまで1玉だったのが1/2、1/4などのカット販売が普通となり、売り場で見ばえする黄芯系品種がますます好まれるようになります。一方、食卓では漬物の主流が糠漬(ぬかづけ)から浅漬となり、食味のよいことと見た目がよい黄芯であることの両方が求められるようになっていきました。その販売価格は、従来品種に比べて1ケース当たり300円の差がついたこともありました。
しかし、当時の黄芯系品種は、根こぶ病、軟腐病などへの耐病性や、芯腐れ、縁腐れ、ゴマ症などに対する耐生理障害の特性が不足していました。特に12月から厳寒期にかけての作型は、作付面積も多いため、産地からはより作りやすく、良品が安定生産できる品種の育成が強く望まれてきました。
このような要望に応えるべくタキイでは、生理障害の発生が少なく、年内〜冬どりまで幅広い適応性をもった中生の黄芯系品種F1「黄ごころ」の育成を進めていきます。開発にあたっては、自社農場だけでなく、「T-666」の試行番号で岡山県や愛知県、和歌山県などの主要産地で試作試験を行い、芯腐れ症発生の少ない系統を選抜し育成を進めていきました。
ある産地では、「T-666」を初めて試作した際、ハクサイの担当ブリーダーが直接圃場へ赴き、球内部の芯腐れ症(アンコ)を、チェックするためハクサイを切って廻るなど、現地に度々訪れて開発に取り組んだというエピソードも残っています。
「黄ごころ」は中間地の年内どり、暖地の冬どり栽培に力を発揮する品種として開発されました。つまり12月〜1月の厳寒期に収穫するハクサイです。その特長を以下にご紹介します。
当時の産地の声をご紹介します。
生産農家からは「黄ごころは、アンコ(芯腐れ症)になりにくく、作りやすい。非常に玉ぞろいがよく、尻も柔らかいので収穫時にカマが入れやすいと栽培性・作業性ともに高評価。品質においても、非常にボリューム感があり、球内色も非常に鮮やかな黄芯で、黄・緑・白色のバランスもよく葉が柔らかく食味もよい」との声です』市場からは『漬物屋さんの反応を聞くため、「浅漬研究会」にサンプルを送付。評価は「非常にやわらかいし、黄色も鮮やかだ」とよい結果でした。市場への試験出荷でもボリュームがあり、品質はよいと評判上々でした』
(JAわかやま 営農指導部 吉村浩典さん『園芸新知識・野菜号』1996年6月号より)
『大阪市場を中心に販売した結果、ほかの黄芯ハクサイより200円、一般ハクサイより400円高い値で常時販売できました。カット面のすばらしさ「緑と白と黄のバランスのよさ」と漬物にした場合の漬けやすさ、漬け上がりのよさが高い評価を受け、一度出荷した市場からはすべて連日出荷の要請がありました』
(岡山県JA牛窓町 出射 茂さん『園芸新知識・野菜号』1996年6月号より)
生理障害の発生が少なく栽培容易で、低温肥大性にすぐれ、色鮮やかで品質は極めて良好。播種期の幅も広い中生種で、作業性と収量性を兼ね備えた省力品種となり、特にこれまで、生理障害、中でも芯腐れ症(アンコ)に悩まされてきた西日本の産地で導入されました。
産地では“救世主“のように受け入れられ、「黄ごころでアンコ(芯腐れ症)が出るような畑ではハクサイは作れない」とまで言われたほどでした。
2024年
秋種特集号 vol.58
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