2018/02/20掲載
1950年代当時ナスの品種は各地の在来品種も含めると非常に数多く、なお毎年続々と新品種が発表されていました。例えば、「長岡長(ながおかなが)」(1951年)、「早生中長(わせちゅうなが)」(1952年)、「早生大丸」(同年)、「橘真(きっしん)」(1952年)、「早生新交(わせしんこう)」(1957年)、「新橘真(しんきっしん)」(1958年)など多数あります。しかし、親品種には限りがあり、それらを使った組み合わせはすでに検討しつくされ、毎年発表されるいわゆる「新品種」は、あまり変わりばえのしないものが多いという状況でした。
「従来の親品種を使っている限り、今後もずば抜けてよい品種は期待できない」と、タキイでは、本当の意味の新しい交配種を育成するためには、これまでにない「新しい親品種」の育成が必要との方針から、「千両」発表遡ること8年前の1952年(昭和27年)から新しい親づくりに着手していました。まず、それぞれにすぐれた特性をもつ数品種を交配し、その次代、さらにその後代とこれまでにないすぐれた多くの特性をもつ品種を目標に、数多くの個体の中から選抜を続け、ようやくその目標の型にそろうようになり、中長から短卵までのいろいろの形についてそれぞれ数系統が完全に固定、親品種の育成を完了させました。
一方、これらの新しい親を使ったF1検定も毎年数多く行い、有望なF1種との組み合わせについて検討の結果、その中の一つが1961年(昭和36年)に長岡交配「千両」と命名され発表されました。後に新しい親を使ったF1品種が次々と発売されていくことになるのですが、「千両」はそんなタキイの新たな親品種を使ったF1ナスの第一号となったのです。
〜1950年代に発表されたタキイナスの品種(一部抜粋)〜
当時、長岡交配として発売された「千両」は枝の節間が短めで徒長しにくく、低温肥大性にすぐれ、ハウス栽培に適する品種でした。やわらかな肉質と整った果形で、果色は濃色でつやがよく、早生で安定した収量性をもっていました。これらの特長は、当時の日本の食生活にぴったりとマッチしました。
以下に詳しく紹介します。
ナスの形は地方やその市場によって好みが異なりますが、一般に長卵形から中長に近い形が最も好まれ、「千両」はまさにその好みにぴったりあてはまる果形をもっていました。当時としてはかなり長い長卵形で、従来品種である長岡交配「早生新交」や「群交二号(ぐんこうにごう)」よりわずかに長く、しかも胴太りや胴細りせず非常によく整い、その上ヘタの大きさも中くらいで、かぶり具合も美しく、花痕は極めて小さいといった抜群の果形の美しさをもっていました。最盛期はもちろん、初期や中期以降、幾分果の短くなりやすい時期にも果形の見劣りがせず商品価値が下がらないことも高く評価されました。
さらに大きな特長は、果色がずば抜けてすぐれている点です。「千両」は今までにない果色で濃すぎるくらいの果色と光沢を持っていました。しかも、被覆下の光線の少ない栽培や夏ボケのころにもほとんど変わりません。「果の色沢の点でも現在の品種中で右に出るものはない」と言われたほどです。
当時、野菜も物量から品質の高さが求められ始めたころで、特に栄養価の乏しいナスの場合はむしろ嗜好品に近いところから、品質の良否が市場値を大きく左右し、値開きが大きいものでした。
品質を左右するのは色沢と果形で、さらに果皮のかたさと肉質になります。「千両」は、果皮が特にやわらかいといわれた「早生新交」に匹敵するくらい、あるいはそれ以上にやわらかく、そのうえ漬けた時には、肉の内部まで美しく着色し、漬物用として正に満点の品質でした。なお、果皮がやわらかいと荷傷みや日もちが心配ですが、それも他品種と比べてほとんど変わらないという利点をもっていました。
早晩性と収量を見ると、早さでは極早生のグループに属し多収です。開花始めは早い方ではありませんが、石ナスが少なく肥大が早いので収穫始めと初期収量は早く、多くなります。開発に当たっては、当時の農場長にして、国内民間企業では初となるトマトのF1品種「福寿一号」「福寿二号」を世に生み出した故伊藤庄次郎氏の助言を受け、超密植栽培をして早生の株の選抜に集中したことが功を奏し、早生系統を選抜することができました。
無加温ハウスやトンネルなどの極早出し栽培をねらって開発された「千両」ですが、夏ボケ果が少なく、後期の収量も多い点から、小型トンネル以後秋まで収穫しつづける場合でも十分良品多収できる適応性の広い品種として産地に広まっていったのです(第1図)。
(第1図)
理想的な形質をもつ「千両」が当時の市場や産地にて、どう評価されていたか見ていきましょう。
『収穫の増えてきた7月3日売りより大阪市場に出荷したが、非常に好評で新聞卸売相場より常に高値で取引されている。これは「千両」の特性によるところが大きいと感じている』
『一方、相場の変動が激しい地方市場でも評価は高い。生産者からは「八百屋からの品種に対する苦情はなく、皮のやわらかい茄として高値で取引されている」との声が聞かれ両市場で好評である』
京都府向日町農業改良普及員 田所将良さん 『園芸新知識』1961年11月号より抜粋
『本年は高温乾燥でしたが最盛期の過ぎた9月8日現在でも、「千両」は元気で夏ボケもなく美しい茄が生産されています。他品種に比べて価格が倍ほど高く取引され、いかに優良な品種であるかがうかがい知れます。市場での「千両」の名声は高まりつつあり、人気は最高です』
京都府綴喜郡八幡町 北村才一郎さん 『園芸新知識』1961年11月号より抜粋
『市場好みの果実の姿(長卵形)をし、味、色、つや、鮮度の点で特に勝れており、仲買人への割り当てに困るといわれる位に人気を得ており、出荷数量の少ないのが惜しまれた。漬物用としては、これに盾つくものがないということである。また、屑が少なく品質がよいので選別も楽である』
京都府下長岡町 藤井俊一さん 『園芸新知識』1962年2月号より抜粋
等々、市場では取り合いになるほどの人気を博し、生産者からは栽培性の点でも高く評価されたことがうかがえます。
発売から4年後の1968年の『園芸新知識』を紐解くと、東京市場でも関東の主な産地である埼玉県の南埼玉地区(越ケ谷、吉川など)で生産の80〜90%、早期栽培の北埼玉地区では20〜30%を「千両」が占めるようになったという記述があります(第2〜3図)。
(第2図)
(第3図)
『東京市場におけるナスの果形は中長で光沢のあるものが求められ、あまり大型のものは好まれない。その点多収性で比較的早期に出荷でき、収穫後期でも果形の崩れない千両に生産者の人気が集中するのは当然のことと思われる』
京都府下長岡町 藤井俊一さん 『園芸新知識』1962年2月号より抜粋
また、北山氏は今後の展望について
『生産地における人気も、市場価格も非常に高い千両茄は、需要の増加に呼応して、今後ともより一層の増加をみることであろう』と結ばれており、「千両」がまさしく破竹の勢いで市場に広まっていったさまが容易に想像できます。
「千両」は市場で取り合いになるほどの人気を博し、産地でも栽培性を高く評価され、瞬く間に各地に広まった
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