世界で初めての輝き 新しいタキイの葉牡丹「プラチナケール」誕生の軌跡

2019/07/22掲載

第一章 時代を彩る華麗なるタキイ葉牡丹の歴史

葉牡丹のルーツとは?

葉牡丹のルーツをたどると江戸前期に渡来したとされる食用ケールにたどり着きます。
葉牡丹がその名前で紹介されたのは、博物学者山岡恭安が「本草正正譌(ほんぞうせいせいか)」(1778年)で「ボタンナ、一名ハボタン」と記載したのが最初のようです。
牡丹と言えば、中国でも古来特別な存在として親しまれてきた花ですが、その中国でも葉牡丹は生み出されていません。葉牡丹は100%日本人により品種改良が行われ、食用から観賞用へ大変身を遂げた園芸植物なのです。

丸葉にちりめん、切葉と葉形だけでも多彩な葉牡丹。その秘められた魅力をご紹介。

<1950〜70年代>世界に先駆けてF1葉牡丹を発表

1950年代は固定種が主流であり、品種のばらつきも著しいものでした。タキイの葉牡丹は1955年から開催された全日本花卉種苗審査会において連続トップの受賞が続き「葉牡丹はタキイ」というイメージが広く定着していきました。
それに先駆けること5年前、1950年にタキイはアブラナ科野菜を世界で初めてF1化し、その名を世界に知らしめました。それは「一号甘藍」と「一号白菜」で、このF1化の手法は同じくアブラナ科の葉牡丹にもそのまま利用できるものでした。
そこで、葉牡丹のF1育種を開始。1972年に長年の基礎研究をもとに自家不和合性の利用による葉牡丹で初めてのF1品種、ちりめん系F1さぎ」シリーズ、丸葉系F1たか」シリーズを発表しました。
形質のそろったF1品種の出現は、花壇利用での斉一さを際立たせ、また、販売歩どまりが大きく高まるなどのメリットが非常に大きく、急速に葉牡丹はF1化時代を迎えました。

<1980年代>切葉葉牡丹の開発で需要が拡大

1980年代には、切葉のケールとの交雑系から、新しいタイプのハボタンとしてF1かんざし」「F1くじゃく」「F1さんご」シリーズを発表。耐寒性をレベルアップして、新たな葉形を提案することで需要を拡大しました。

※「F1さぎ」シリーズ、「F1たか」シリーズ、「F1かんざし」シリーズは現在取り扱いがございません。(編集部)

<1990年代>切花用高性葉牡丹の登場で葉牡丹はアレンジ花材として普及

1990年代に入ると切り花用品種の開発が進み、96年に「F1晴姿(はれすがた)」が発売され、切り花需要が急激に拡大しました。現在、花の文化の盛んなオランダでは1,000万本を超える生産量となっています。
かつて、葉牡丹は食用としてオランダから渡来し「オランダ菜」と呼ばれていましたが、今ではオランダの地で日本の品種が市場を賑わし、欧米では葉牡丹が斬新な花として飾られるようになっています。

切花用高性葉牡丹の普及により、ギフト、ブライダルなどのアレンジ花材としての需要が高まりました。
今や「お正月」とは縁のない欧米のリビングでも葉牡丹が飾られています。