第1回

2016/02/22掲載

2.専門学校生との出会い

さて、タキイのこともまったく知らない私が園芸専門学校の存在を初めて知ったのは、入社式を迎えるまでのことでした。昭和45年3月10日ごろのことです。農場長の治田博士から連絡が来て、夏季研修に不参加だったのだから至急農場に来て作業を手伝うようにと呼び出しがかかったのです。
私は葉菜科へ配属され、初仕事として十字花科の蕾受粉を受け持ちました。米粒大のハクサイの蕾をピンセットで切り、雌蕊の柱頭へ花粉を受粉するのです。悪戦苦闘不慣れな作業をしていると、私のところへ、専門学校で2年目を過ごす専攻生が休憩時間を見計らってはやってきてこういうのです。
「ひと枝何分掛かりますか?社員さんですからきっとぼくらより早いでしょうね!」と。
これが専門学校の生徒たちとの最初の出会いでした。年下の専攻生のからかいを受ける中、「これはえらい所に来たな」と不安がよぎりました。

ところで、入社1年目の新社員は、一緒に面接を受けた2名を含め、農場勤務の研究職6名でしたが、新人である私たちは、彼らと年齢が一番近いこともあり、社員という立場で急に飛び込んできた招かざる客といったところだったのでしょう。
私にしても大学で農学の知識は学んでいたとはいえ、実際の技術や経験は全くありません。年下である専攻生の下、ボロを出すまいと無我夢中でその日を過ごす毎日が続きました。緊張の続く仕事が終わった後は、社員寮に戻って毎日同期の仲間たちと浴びるように酒を飲んだものです。
そうした日々を過ごすうち、専攻生たちの卒業式が翌日に迫り、前日の夕食会に出席したのでしたが、その場で彼らの姿に驚かされたのです。
寮長を務めていた専攻生の威厳に満ちた挨拶!堂々とした立ち居振る舞い!これが自分より5歳も年下の生徒とはまったく思えず威圧感さへ感じたのです。彼らの方が精神的にも全然上じゃないかと自分の未熟さを恥じ入りました。

卒業式当日の一コマ。円陣を組み寮歌を歌いあげる。決まったプログラムでなく代々引き継がれてきた風景だ。
タキイ園芸専門学校の卒業式で生徒と握手を交わす筆者。

その彼らが卒業し、月があらたまればすぐに新たな生徒たちが入学してきました。ここでまた驚かされました。2年目を迎えたばかりの専攻生は、軍隊顔負けの発声で自信に満ちた表情をしています。一方、入学したての本科生たちは、か細い声で如何にも頼りなげです。僅か1年の差でこれほどの違いがあるものかと心底驚かされたのです。

入学したての本科生は、専攻生の厳しい指導のもと1カ月で寮生活と実習に慣らされて行きます。その成長の早さには驚かされます。入学当初の1カ月は、初めて親元を離れた生徒も多く、布団の中で涙を流すものもいたと思います。本人たちのためにも1日でも早く慣らしてやろうと、「鉄は熱いうちに打て」の言葉どおり、入学した初日から厳しい学校生活がスタートするのです。

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