第6回

2018/07/20掲載

「夏から秋へ」〜台風襲来を乗り越える〜

「馬肥ゆる秋」といいますが、厳しい農場の夏の整地を乗り越えて、生徒たちは随分たくましく成長してきます。しかし、葉根菜の本番はここから。社員や生徒総出のキャベツやハクサイといった葉菜類の定植が控えています。定植直後には台風もやってきます。まさに営農に直結する観察眼と技術を取得していくのです。そうした実習の合間には、「運動会」といった、卒業後も思い出に残るレクレーションも控えています。
私の入社当時(1969年)の風景を振り返りながらご紹介いたします。

1.床土作り

当時の苗床切り返しの様子。たいへんな重作業だった。
当時の苗床切り返しの様子。たいへんな重作業だった。

苗半作と言いますが、育苗の仕上がりを左右するのはやはり「土」。当時、育苗のための床土作りは大変重要かつ手間暇がかかるものでした。今は13号圃場と呼ばれる残さ処理場の東側が床土作りの現場となっていました。

農場の土質は粘土の赤土でした。この表土をフォード4000で鋤き起こし、乾燥させてからロータリーで十分砕土しブルドーザーで集めます。決して土質がいいと言えない圃場からは直径40〜50cm大の石がごろごろ顔を出します。先ずはこれを持ち出すのが大仕事となります。

次に社員と生徒6〜7名でブルドーザーが運んだ土をスコップで均等に広げ軽く踏みならし、続けて完熟馬糞を同様に踏みならして、厚さ50cmほどのサンドイッチ状に交互に積み重ねます。最終的に底辺5m×奥行き3m×高さ2.5mはある円錐状の小山を築きます。1980(昭和55)年ごろにはブルドーザーに変わって、バケットが大型で腕の長いローダーが導入されると山は3mを越えました。築いた土を1年間寝かせ、翌年7月に完熟馬糞を追加して切り返しを行い再度積み直します。計画では1年に2回の切り返しを行う予定でしたが、多忙でなかなか実施できませんでした。土作は農家にとっても大変な作業なのです。

3年目を迎えた土は7月上旬、交配室に搬入し乾燥させ、大・小のふるいに掛け床土とごろ土を作ります。木製の大型のふるいは手作りで生徒2名がふるい役、1名がスコップで土入れ役を務めますが、作業は単調で体力と忍耐力が必要でした。夏場の実習ですから黒い遮光ネットを張っていても温室内の気温はぐんぐん上昇しサウナの中で作業しているようでした。

こうして苦労を重ねた床土でしたが、使い勝手はたいへん悪いものでした。手間をかけても赤土は赤土のまま。播種箱で使用すると水はけは極めて悪く、潅水を2〜3回もすれば表面はクラスト状にかたくかたまってしまいます。通気と排水を図るため週2回の中耕が必要でした。入社2年目にこの床土を使用して子持甘藍の育苗を任されましたが、高温多湿、排水不良で胚軸が徒長し、まるでカイワレ大根。育苗は完全な失敗に終わりました。

その後、電動モーター砕土機の導入で床土ふるいの労力は大幅に軽減されたものの、土質自体は悪いまま。ピートモスや羊毛カスを配合するなど試行錯誤を重ねましたが、土壌改良は思うように進まなかったのです。床土の質の悪さは品種育成に関わる農場全体の大きな課題となっていました。このため1982年ごろ農場内に種苗管理室が設置され、人工培養土の開発と培養土を活用したセル成形育苗技術の研究が本格的に始まりました。質の悪い土での床土作りと苗作りは大変労力が掛かり苦労しましたが、これを解決するための工夫と研究が後に市販化される「タキイたねまき培土」シリーズ、「タキイ根巻防止トレイ」シリーズとして結実したのです。

温室内の耕うん作業。
温室内の耕うん作業。

余談ですが、農場見学に来場した生産者らが、たまたまタキイの育苗現場を見て、自分たちにもぜひこの培養土を使わせてほしいと要望いただいたことが市販化実現のきっかけとなりました。培養土とトレイは販売後たちまち大ヒット。育苗現場は床土育苗に変わりセルトレイ育苗が一気に普及。土づくりがいかに農家の大きな負担であったのかをうかがい知ることができました。以降、農業現場での育苗用専用培養土の購入は当たり前の時代となり培養土やセルトレイはロングセラーとなっています。

沢ガニが導いてくれた良質の覆土

播種後の覆土は発芽に非常に大きな影響を与えます。当初は先述の床土を更に細かく2分目でふるい覆土として使用しましたが、粘土で壁土を塗るようなものでした。そこで目を付けたのが場内の潅水プール横を流れる屋名棟川の川砂です。というのも入社1年目、潅水プールへ山水を導入するU字溝埋設工事に同期のN君と参加していましたが、このとき屋名棟川の堰堤の上流に上質な川砂が堆積しているのを見つけました。
毎年梅雨時期に大雨が降ったあと、専攻生たちを連れてこの川砂を集めに行き、肥料袋に詰めて少しずつため込みました。何しろ覆土で使用するにはキャベツ類だけでも100袋分は必要だったからです。川砂は狙い通り乾燥させると、サラサラした上質の砂となり排水、通気性とも申し分ありません。そのうち根菜科でも使用するようになり川砂の覆土利用は培養土を開発するまで続きました。
実はU字溝埋設工事の際、同期のN君と二人で沢ガニを大量に捕獲しその夜は沢ガニをあてにビールで乾杯していたのです。この沢ガニが住みついていた川砂が頭にインプットされ、覆土での活用に思い至りました。沢ガニがとれることは二人だけの秘密で、休日になればいそいそと捕獲に出かけ、うまいビールのあてを確保していました。N君は病気で惜しくも亡くなられましたが、沢ガニを捕らえたときの彼のうれしそうな笑顔が今でも忘れられません。

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