第5回

2.馬糞ふりは「夏の陣」の語り草

お盆の夏季休暇が明けると、30℃を超える炎天下、馬糞振りでいよいよ「夏の陣」が始まります。当時は、土壌改良のため農場近くの栗東競馬センターの生馬糞を、10a当たり10tの割合で圃場へ投入し、これを社員・生徒が人海戦術で広大な圃場に「担架」と「ホーク」を使って均等にまいていきます。4号、5号圃場を見ると10t車で搬入された高さ2mを超える馬糞の築山が30盛り。まるで活火山の様にもうもうと湯気を上げ我々を待ち構えています。

わっせ、わっせ!(1974年)
わっせ、わっせ!(1974年)

この馬糞ふり実習は、築山の頂で馬糞をほぐし、下で構えた担架に投げ入れる担当と、担架で等間隔に馬糞を運搬する担当の二手に分かれます。担架役はスタートから「ワッショイ、ワッショイ」と大声を掛け全力疾走しますが、すぐに汗だくとなり息が切れてしまいます。しかも担ぎ手後方の専攻生は前で担ぐ本科生へ運搬先の位置と方向、さらに左右どちらに放り出すかを大声で指示を与えなくてはなりません。疲れて足もとが覚束ない本科生を後ろから力任せに押す専攻生。足がもつれて畝に盛られた馬糞に頭から突っ込む本科生。まさに炎天下の地獄絵図ですが、日ごろ、専攻生に何かと不満を示し反抗的な本科生は、必ず担架の前を持つ役に指名されます。特に大人しい性格の専攻生は、ここぞとばかりに前をもつ反抗的な本科生を追いかけ回し、彼らなりの秘かな復讐を果たすのでした。

突撃じゃー!(1983年)
突撃じゃー!(1983年)

こうした様子を一年目に観察していた私は翌年、投げ入れ役の方が楽だろうと馬糞の山頂役を選択しましたが、これが大きな間違いでした。専攻生はすでに有利な風上を陣取り、涼しい顔で過激な檄を飛ばしています。風下は熱気と臭気ですぐさま息が詰まり、今にも反吐が出そうです。しかし、自ら投げ入れ役を選んだ社員の意地でじっと我慢で耐えなくてはなりません。ノルマはひと山20分ですが二組に分かれるため次第に互いの競争になってきます。私たちも時間を気にする余裕はなくなり、暑さと臭気を吹き飛ばすため大声を張り上げチームを鼓舞し、無我夢中で相手チームに勝つため全力を出し切ります。こういう過酷な作業こそ、若手社員が先頭を切ることで生徒も負けてなるものかと対抗心を燃やし必ずついてきます。後に校長を任されてからつらい実習の際には、「ばかになって飛び込め、そこから何かが得られる」と、偉そうに生徒へ言っていましたが、若手社員だった当時に得た教訓でした。

この馬糞ふりにおいて、投げ入れ役も担ぎ役も両方経験しましたが、投げ入れ役は次から次ぎへやって来る担架のため息つく間もありません。一方、運搬役は担架に馬糞が山積みになるまで少しの待ち時間がとれ、その間に新鮮な空気を吸って人心地付けます。私の中では担架役が有利であると結論がでていますが、何事も経験してみないとわからないものです。ちなみに短足で走りが苦手な私は、その後も大概山頂に立たされていました。

風下は煙幕状態(1977年)
風下は煙幕状態(1977年)

さて、運搬した馬糞はさらにホークで均等に広げ、その後全員横一列25mに並んで縦方向へ200m歩きながら馬糞から出た異物やゴミをすべて拾い集めます。その後、肥料振りに移りますが、これも競争になります。要領の悪い生徒は風上から石灰、元肥を頭上から浴びることとなり顔は汗と石灰でベタベタになります。何はともあれ実習は先手必勝、早いもの勝ちなのです。

こうして肥料散布が終わったころには、生徒たちの顔は石灰で真っ白、身体は全身汗まみれ、実習服は馬糞臭が染込ついて、作業着から吹き出た白い汗が塩の結晶となって得も言われぬ異臭を放っています。昼食をとりに食堂へ入ると、先客たちから思わず顔を顰められることになります。このように過酷だわ、歓迎されないわ、踏んだり蹴ったりの実習でしたが、生徒、社員共に一丸となって汗を流し、全力を出し切った爽快感・達成感は格別で、実習体験を共有できた社員と生徒たちの絆はより深く結ばれることになるのです。そして卒業後いつまでも体験者同士が語れる共通語として、「夏の陣」は代々卒業生たちの語り種となっています。平成時代に入ると流石に馬糞振りの実習は姿を消しましたが、往年の卒業生たちは一抹の寂しさも感じているようです。

最高においしかったキュウリ、ナスの一本漬け!

当時の食事は、朝(ご飯、味噌汁、たくあん2切れ)、昼(ご飯、汁、コロッケ)、夜(ご飯、汁、揚げ物)、ご飯は大盛り一杯のメニューです。しかし、整地シーズン中は昼食に必ずキュウリ、ナスの一本漬けが大量に出され、汗を流した後の塩分補給には何よりのご馳走でした。このおいしさは今でも忘れられません。

食事のメニューは時代と共に大きく変わり、S50年代後半に入るとご飯のお替りは自由となって、おかわり13杯を平らげる大食いも現れます。さらに「夏の陣」にはスタミナ料理と呼ばれる、肉料理をメインとした一皿が夕食に追加され生徒・若手社員に大好評でした。平成に入ると生徒の強い要望で朝食にパンが出るようになりましたが、パンは案外腹もちしないので整地実習を乗り切れないのではと心配したものです。

飽食時代の影響でしょうか、かつての大食いたちは陰を潜め、全員が小食です。加えて実習は機械化が進み、作付面積も減少しています。実習内容も平成になってからは総じて穏やかになり、実習服が汗で塩を吹くことはなくなりました。むしろ朝は軽いパン食でよいのかもしれません。

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