第5回

2018/02/20掲載

3.生徒泣かせの「畝割」実習

馬糞、元肥を全層耕うんした後は、FORD4000で1.5m間隔の畝割に入ります。全長200mの圃場の両側に1.5m間隔に高さ2mの目印の竹を立て、FORD4000は一直線にこの竹を目掛け突進し、見事に真っ直ぐな畝割を行います。東西、南北に勾配が2%ある圃場を曲がらずに畝を切るには相当な腕が必要です。この時期は農場総動員体制で、女子社員といえども全員整地に駆り出されました。目印になる竹を女子社員が耕うん機が到着する直前で素早く抜き取り、次に抜き取る25m先の竹の位置目指して一目散に走ります。一見楽そうに見えますが、炎天下にほぼ一日中駆け足で竹を素早く抜きとっていく作業は、大変きつい役目でした。それでも彼女たちは当時の治田場長の合言葉「オールタキイ精神」を遺憾なく発揮してくれたものです。

よし俺についてこい!(1982年)
よし俺についてこい!(1982年)

さて、この畝割に入る耕うん機のオペレーターをピカイチの運転技術をもつY先輩が務めた場合は、整地は非常に楽になるのですが、オペレーター役がO先輩の場合は、少し厄介なことになります。O先輩の癖なのか、運転技術に問題があるのか、培土板を早目に上昇させ、畝を完全に割ることなく必ず2mほど未完成部分を残して次ぎの畝へ移動してしまいます。残った2m分の畝割をスコップによる人力作業で仕上げるのですが、炎天下ですからボディーブローの様に疲労が蓄積していきます。徐々に生徒たちは恨めし気な表情で「なんとかしてください」と私の顔を見つめてきます。さらに必ずと言っていいほどO先輩が現れる時間は、実習作業が終了直前の夕方17時半ごろからで、遙か遠くから大声で「今日はここまでー!」と新たに30畝の整地追加を命じてきます。私は聞こえない振りをしてわざと大声で「何ですかー」と聞き返すのですが、O先輩はさらに大声を張り上げ「ここまでじゃー」と負けずに言い返します。こちらは疲れ切った生徒たちを束ねる身。むだな抵抗とは思いつつもすぐには引下がれず、生徒の気持ちを代弁して「聞こえませーん、○△※×■…」とうつむき加減にぼそぼそと抵抗を続けます。傍でこのやりとりを聞いていた専攻生が助け舟を出してくれるのもこのタイミング。

「福嶋さん、(やれやれ)今日もゴールデンコースですね、(最後まで付き合いますので)今夜のビール、お願いしますよ!!」この一言を合図に、最後の力を振り絞って皆汗を流しました。

夕食後、独身寮に帰るとすでに二十歳の専攻生は冷えたビールを、本科生はコーラを用意して待ち構えています。例の先輩の話を肴に今日の鬱憤を晴らして明日への英気を養い、若葉寮門限ギリギリまで結論のない反省会を開くのが葉菜科の「夜の陣」でした。

整地エピソード エビオス錠は胃腸回復の神薬!

整地実習が始まると炎天下の厳しい実習のため全員が休憩時間に水をガブ飲みします。水の飲み方として「最初の一口で口をすすぎ、ペッと吐き出し、後は2〜3口飲んで我慢するように」と指導しますが、いざとなるとそうはいきません。また、当時は15時の休憩にスイカの配給があり大きな楽しみでした。受け取りの時間になれば一目散に果菜の倉庫へトラックで飛んで行き、持ち帰ったスイカを社員、生徒問わず我先にとかぶりつきます。人心地ついたあと、さらに水道水をガブ飲みです。休憩が終わり走りだすころには全員のお腹は水分でポチャポチャ。これが1カ月続くと殆どの生徒が胃腸を壊し食欲不振に陥ります。加えて寮は一部屋に専攻生と本科生5人で寝るため暑さで寝付けず、全員が睡眠不足に陥り気味。1983年の改築まで、冷房なしの若葉寮でよく我慢できたものです。当時、少しでも涼をとろうと生徒が当番制で夕方17時すぎ寮の屋上に撒水していましたが焼け石に水。三階の生徒は全員移動し、二階の大研修室で寝起きしていました。

胃腸が弱り夏バテが進むと、元気一杯の専攻生ですら昼食も喉を通らず、ご飯にお茶をぶっ掛けて5分で終わりという状態です。そこで登場したのが「エビオス錠剤」です。アサヒビールの絞り滓を加工した整腸剤で毎食10錠以上飲む決まりでした。1週間飲み続けると不思議に胃が軽くなり食欲が回復します。食堂のテーブルにドンと置かれるエビオスの大ビンは「夏の陣」の象徴でもあるのです。

現在、生徒の健康にはこと細かに配慮して、例えば15時の休憩時間に熱中症対策として塩飴を配布するなどサポート体制を整え、生徒は「夏の陣」を無事乗越えています。

回顧録TOPへ戻る