第3回

2017/02/20掲載

3.米教育現場の熱気に感動

実は全く英語が分からなかった私が、さらに英会話の必要性に目覚める一大転機となったのは、1981年8月23日から1週間アメリカの州立大学であるウイスコンシン大学の耐病性育種の権威ウイリアム教授主催の十字花科耐病性育種研修会への参加機会を得たことにあります。これが人生初の海外出張でした。緊張のあまり出発前夜に40℃を超える発熱をしてしまい、深夜病院で薬をもらったものの、翌朝ふらふらの状態で成田から出発となりました。アンカレッジ上空を経由し12時間の直行便で夕方ケネディ空港に到着。翌日ラガーディア空港からウイスコンシン州マジソン市への移動でした。大学に到着後直ちにウイリアム教授に挨拶を済ませ、すぐ翌朝から研修がスタートしました。

研修は一言で言って大変ハードなものでした。早朝研修が6:00〜7:30、朝食後午前中の研修が8:30〜12:00、昼食をはさんで午後は13:00〜18:00、さらに夕食後20:00〜22:00までほぼ1日中ぎっしりと講義が続きます。この研修会には世界各国の種苗会社から耐病性育種を担う担当者30名あまりが参加していました。日本からはタキイのほか、サカタさんや渡辺採種場さんからも合計4名が参加していましたが、あまりのハードスケジュールに途中抜けだすものもいたくらいです。帰国後のレポート提出は口頭のみで提出は不要との事情があったようですが、タキイから参加した私たちには出張報告書提出は必須。しかも私の場合、当時の日本の平均的大学生がそうであったように、ほとんど会話がわかりませんでした。しかし、初の海外出張で成果を持ち帰りたいと思い、必死で英語と格闘する毎日でした。そうした中、大いに感動したのが講義をしていただいたウイリアム教授の熱心さです。彼は早朝から夜半まで続くハードな講義を、なんと一人で受け持ってくれたのです。講義3日目を迎えたころには遂に彼の声は枯れ、心配した奥様が3日目以降夜間講義中はずっと様子を見守っておられたくらいです。私たちはウイリアム夫妻の献身的な講義に感激し、最終日には各社10ドルずつカンパしてご夫妻に全員で感謝のお礼をさせていただきました。

ウイリアム教授による1週間の講義内容はというと、十字花科の地上部、地下部の代表病害20種の菌の生理生態、侵入機構、人工培養、幼苗接種法、病斑判定法に加えて、双葉、本葉5枚時の人工接種の病斑それぞれをすべて見せてくれました。講義に使用するサンプルの準備は教授の研究室に所属する5名の学生が担当していましたが、彼らの高度な接種技術や典型的な病斑の発現に感服したものです。最終日はハンコック市にある黒腐病選抜圃場を見学しました。選抜圃場の発病状況は完璧で人工接種の具体的な方法と判定法を確認できたおかげで、帰国後キャベツ黒腐耐病性育種を一気に進めることができました。百聞は一見に如かずとはこのことです。

さて、日曜日には学生と一緒に昼食をとったのですが、彼らに話を聞くと学費を補うためほぼ全員がアルバイトをしながら勉強していることに驚きました。当時私たちのような日本の学生とは大学入学後の取り組みや心構えに大きな違いを感じさせられました。ウイリアム教授が惜しむことなく全力で取り組む指導、その知識の習得に貪欲で真剣な学生たち。研修現場で体験した熱気は、自分が想像していた陽気で軟弱なアメリカ人の印象とは全く異なっていました。アメリカ人はこと自立心が旺盛で、スキルを取得し身を立てるためには不屈の精神であきらめないというヤンキー魂があることを実感しました。今思えば、この時体験した学びの現場の真剣さ、自立を目指す学習精神などが、後にタキイ園芸専門学校で校長職に就いた際に、再現したかったことの一つだったのかもしれません。

こうして初めての海外出張を経験して、英会話と読み書きが出来なければウイスコンシン大学で研修した最先端の研究と技術をもつ世界を相手に育種戦争に到底勝てないと思い知らされ、帰国後は眠っていたリンガフォンを再び叩き起こすことにしたのです。

その後10年程して、DNA遺伝子マーカー技術調査などの目的でアメリカ出張。
ニューヨーク州立大学訪問の際に立ち寄ったナイアガラの滝にて。
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