第6回

2018/07/20掲載

4.ハクサイの定植

直播からポット育苗へ!

一方、ハクサイは8月20日、25日それぞれ1日で50a、合計1ha余り直播します。この直播も大変でした。整地仕上げが終わっても畝の上は石だらけ、先ず担架で石出しを行い、次ぎにケンひもを張って全員で畝に条間45cm×株間45cmの直播場所を標し、殺虫剤や微量要素、除草剤を散布し、立てた圃場ラベル通りに種子袋を配布して、ようやくタネまきが始まります。種子の準備、種子の配置は女子社員が主体で行いました。暑い中、種子袋が風でとばされないように畝の小石で押さえる忍耐のいる作業です。その上、種子が不足すると本館3階の種子庫へ探しに行くのですが当然駆足での往復となります。これが数回発生すると大汗を流しグッタリですが、気丈にも汗を拭いながら任務を果たしてくれました。

播種前には生徒全員に圃場ラベルと種子袋の番号確認を必ず行います。タネがこぼれないよう手にしたシャーレーを地上すれすれの位置で扱い、1穴に3粒まきするように指示しますが、不慣れな生徒は必ずタネをこぼして大目玉を食らいます。種子袋は再確認のためラベルとともに回収します。
その後、肩の土を共土として両手ですくいよくこなして覆土し、くん炭を散布、潅水します。被覆のない状態で夕立に遭うと幼苗期に立枯れ病で欠株が大量に発生してしまいます。1週間後に補植を行いますが、土が悪く活着しません。日覆いにわらの三角帽子をかぶせますが効果は上がりませんでした。欠株が多く生育が不ぞろいだと優良株を選抜する検定に支障を来たすことになります。解決のため入社3〜4年後には、錬床育苗に取組みます。しかし、基本となる元の土があまりにも悪すぎ、育苗床に使える面積にも問題があり葉菜での導入は断念しました。次にペーパーポット育苗に切り替えてみましたがこれも床土の問題で根張りが悪く、定植後はポットの紙が発根を阻害し生育がそろわず中止しました。

最終的に6cmポット育苗に落ち着きました。床土は依然よくないものの欠株はなくなり選抜が十分できるようになりました。現在、キャベツ類、ハクサイ類は全てセル成型育苗に切り替わり、定植前の整地仕上げ、定植準備、定植方法は格段の進歩を見せ、その効率化は目を見張るほどです。大変だった定植実習を経験した往時の卒業生からみると遊んでいるのではと感じるかもしれません。育苗技術と育苗資材はそれほど進歩してきました。

葉菜で支柱栽培、ヒヨドリが教えてくれた選抜?

タネまきの様子(1983年ごろ)。
タネまきの様子(1983年ごろ)。

定植直後の実習でがらりと変わったのがブロッコリーとカリフラワーの誘引実習です。当時は定植後、各畝の頭と尻に1mの木杭を斜め45度に掛けや(樫などで作った大型の木槌)で打ち込み、太い8番線の針金をバイス(万力)で真っ直ぐに張り、この針金に1株ごと誘引していました。50a、1万3,000株に及ぶ誘引の手間は大変なものでした。今では考えられない栽培方法ですが無支柱栽培に変わるまで4〜5年続いたと思います。

当時海外で売れていた子持甘藍も支柱立て栽培を行っていました。定植後、10日、30日と追肥を施し、草丈50cmになると全株に長さ2mの竹支柱を角度15度に打ち込み誘引します。ところで、子持甘藍の株には12月以降ヒヨドリが来襲し、生長点の若葉は食害で消えてしまいます。隣の圃場の秋まきキャベツは冬季には全て寒冷紗被覆をするので被害は軽微でしたが、子持甘藍は彼等の格好の御馳走となりました。面白いことに食害を受ける系統は決まっていたのです。どうやらアントシアニンの着色と関係ありそうだとにらみました。当時問題となっていた内部褐色と関連していることに気づいたのです。有効な選抜方法をヒヨドリが教えてくれたのです。

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