第6回

2018/07/20掲載

5.台風来襲で得たもの

入社以来45年間、毎年台風とお付き合いしてきました。育種に携わる者は台風から逃れることはできません。入社2、3年目は特に台風の当たり年で、台風発生数36(歴代3番目)、31(歴代9番目)を記録した年です。因みに当時の年間平均数は発生数25、上陸数2.7、近畿地方3.2となります。一番問題なのは必ず土曜日の夕方から日曜日にかけ来襲することでした。これには生徒共々毎回閉口しましたが特に待機となる生徒は可哀想そうでした。農場にはすでに防災組織がありましたが、台風当番が別途立ち上がり、当然我々若手社員は真っ先に指名され、先輩の指導のもと24時間警戒態勢に入ります。私は第1班に編入されましたが第1班が毎年最初に出動となり、これが繰り返されお陰で台風対策のプロになれました。

7〜10月は天気予報をしっかり見て1週間前から台風の進路に注意をはらいます。当時はテレビの台風情報が頼りでした(私見ですが、現在一番進路を正確に予報するのがUSA・NAVYの予想でほぼ100%の的中です)。上陸2〜3日前は作業予定を当然組み替え台風に備えます。当然、露地ものの葉根菜は多忙となりますが、特に根菜科の直播作物のダイコン、ニンジン、カブは播種回数が多く、発芽間もないものから幼植物と生育ステージに幅があるためすべての畝に弓竹を張り、その上から寒冷紗被覆することになり大変な手間がかかります。

一方、葉菜科は4ha以上の大面積のため、来襲前日から各圃場ごとに被覆資材の漁網、寒冷紗を濡れないように杭竹を下に敷いて分散配置しておきます。この漁網は採種でお世話になっていた丹後半島網野の漁師から入手した年季の入った時代物で長岡農場時代から活躍していました。幅15m、長さ20mもあり非常に重く、これをキャベツ類に被覆するには10名がかりとなります。その重さのため植物を少しでも傷めないようギリギリまで被覆を待ったので豪雨がたたきつけ強風が吹きすさぶ直前に被覆することが多く、時には日没後の暗がりで通路はすでにぬかるむ中、10名がバックしながら歩調を合わせ被覆するためリーダーは常に大声を張り上げ号令を掛けます。雨を吸い込んで重みを増した漁網はしっかりと苗を押さえつけ吹き付ける強風から守ってくれます。

軽くて扱いやすい寒冷紗も使いましたが、被覆は楽なものの、強風に煽られパタパタとフラッターを起すので、飛ばされないように8番線の大型U釘で周囲を1m間隔で押さえる作業が別途必要となります。入社1〜3年は夜間の台風来襲が多く、社員だけでは手が回らず専攻生が非常呼集で出動してくれ事なきを得たこともありました。彼らには感謝の言葉しかありません。

この台風対策、来襲時は全員が必死の興奮状態で高揚感に支配されるため、あまり疲れを感じないのですが、台風一過の翌日は結構身体にこたえました。しかし翌日こそが植物にとって一番大事な時間です。夜明けとともに社員、専攻生で全圃場の排水をできるだけ早く実施します。各畝の通路を平鍬で切って溜まった水を逃します。当時の土ではこの作業を一刻も早く行うことが重要で、半日遅れると根傷みで生育にダメージを与えました。水を流したら少しでも早く漁網、寒冷紗を慎重かつ速やかに除去しなければなりません。今度は10名そろって前進しながら被覆資材を外します。通路を歩くだけでも難しいのに濡れた重い漁網は疲れた体に容赦なく追い打ちをかけます。何とか通路を抜け出すと乾燥させるため土手の斜面に広げますが、日ごろ慣れた斜面でも体力を消耗したうえ前夜の雨で滑りやすく、転げる者も続出しました。

被覆の除去が終わると直ちに薬散部隊が殺菌剤と葉面散布剤を噴霧し病害発生の防除を行います。さらに強風できりきり舞いしてできた株元のすり鉢状の穴へ土寄せし、株をまっすぐ起こしたら尿素を少量施いて弱った苗の回復を図ります。これらの実習で通路は再度グシャグシャとなり排水を図るため通路の土上げが繰り返し続きます。泥にまみれた被覆資材は一雨あわせて泥を洗い流し、乾燥後は次回広げやすいように短冊型に折りたたみ、倉庫の2階で大きさ別に仕分けて整理し、次の襲来に備えます。また、寒冷紗を固定したU釘は残らず回収し、長さ別に50本を一束として保管します。このU釘の落ちこぼれが圃場や通路、土手に残っていると、後日、耕うん機などをパンクさせ、土手の草刈り時回転刃に接触跳ねとんだもので怪我をする危険性があったからです。

こうした台風対策では資材の整理整頓の大切さが身につきました。被覆資材の圃場配置と被覆タイミング、圃場排水の仕方、植物の養生方法や農薬散布の時期、来襲時の役割分担と報連相の重要性、生徒と社員互いへのねぎらいと感謝の気持ちなど、実に多くのことを学びました。社員によっては台風来襲の進路上に位置する卒業生の家に電話をかけ、台風対策などアドバイスすることもしばしばあります。こうして経験したことを就農後実践し、被害を逃れて生産物を高値で納めることができたと喜ぶ卒業生も多く、本当の現場で生かせる実習であったとも思います。

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