第6回

2018/07/20掲載

6.忘れられない台風

(1977年ごろ)
(1977年ごろ)

忘れられない台風は3回ほどあります。一つ目は入社1年目に遭遇した夜20時過ぎに来襲した台風で、大雨をともない果菜の2号と3号圃場の土手が流されました。入社1年目であったことと、その時U字溝に専攻生が流され腕時計を紛失した出来事があったからです。生徒に大きなけがが無かったことは幸いです。

二つ目は平成を迎えてからの台風で、午後4時に農場を通り過ぎたころ、強烈な西風の吹き返しがあり、事務所のある本館の裏口から出ようとしても風圧でドアが開かず、やっとの思いで外へ出たら右手にあるはずの大きな鉄製の下駄箱がそっくりありません。見事に突風で飛ばされ30m先にあった果菜のモデルハウスを直撃していました。この台風は果菜のハウスを始め多くの被害を生じさせ、吹き返しの威力と恐ろしさを目の当たりに体験した台風でした。

そして最も忘れられないのは1986年、検定管理網室の百坪ガラス温室を改築した翌日に来襲した台風です。深夜0時過ぎ、強風で改築直後の温室ガラスが浮き上がるのを防ぐためマイカー線で固定する作業中のことです。総出でこれに当たりましたが明かりもなく隣が誰かもよくわかりません。余分なマイカー線を切ってくれとS先輩に言われ、剪定鋏で切った際、誤って先輩の指先まで切ってしまったほどです。これでも十分事件ですが、この夜はこれだけですみませんでした。さらに風が強くなり豪雨と強風が唸る中、やがて「シャリーッ」、「シャーリッ」、「シャーリッ」とガラスが擦れるような嫌な音が始まりました。全員何の音かが分かりません。皆が固唾をのむ中、音の正体に気づいた誰かが「全員退避―!!!」と叫ぶ号令で一目散に現場を離れます。その音は天井ガラスをとめていたパテが外れ、そのガラスが我々の頭上目掛け滑り落ちてくる音だったのです。翌朝、百坪温室の天井ガラスは一枚も残らず落下し、地面はガラスの破片で埋め尽くされていました。今思い出してもよく怪我人が出なかったと背筋がゾッとします。あのガラスの滑り落ちる鋭利で不気味な音は一生耳から離れません。

現役時代の45年間、毎年台風とおつき合いしましたが、生徒、社員誰一人大きな怪我なく無事に済みました。自然相手の農業に携わっていると、神や仏に感謝し手を合わせる気持ちは自然とわいてきます。最後は神頼みというわけです。

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