第6回
2018/07/20掲載
7.秋の運動会も本気モード!
後期に入った学校生活で待ち構えている大きな行事の一つが10月10日の「体育の日」に開催される運動会です。1964年に開催された東京オリンピック開会式に由来するこの祝日は滋賀県でも不思議と晴天に恵まれ、雨で中止や延期になった記憶はあまりありません。
入社当時の運動会は社員と生徒の2チームで競いあい、来賓に瀧井治三郎社長(当時)を迎えて開催していました。ここぞとばかりに日ごろの鬱憤を晴らしてやろうとする生徒たち。片や立場上絶対に風下に立つわけにはいかない社員。どちらも負けず嫌いまるだしです。生徒たちの意気込みもすさまじく、開催1週間前から夜間自主的に運動場の整備に入ります。前日は廃棄予定のビニールで運動場を被覆し完璧な仕上がりです。
そのころの競技種目は農場での実習に因むものが多く、「薬散ホース巻き」、「木桶と天秤棒による潅水リレー」、「土嚢運び」など、日ごろ身に着けた技やスピードを競うため大いに盛り上がりました。また、定番のパン食い競争、障害物競走、綱引き、騎馬戦は生徒と必ず大接戦となります。特に騎馬戦ではその判定を巡りあわや喧嘩寸前。昭和時代の運動会は真剣そのものです。互いの団結力もすさまじく強烈な意地のぶつかり合いでした。トラック競技で最高潮に盛り上がるのが班対抗のリレーです。生徒たちの実習班への忠誠心と対抗心はすさまじく、どの班も密かに練習を重ねリレーに臨んでいました。
さらに、運動会の見せ場の一つが応援合戦です。意匠を凝らして制作された応援の山車も盛り上げに一役買います。毎年限られた予算内で立派な張りぼてを作り上げていました。生徒たちは東西に分かれて、力強さと一糸乱れぬ動きで若さと気合いのこもった応援合戦を毎年披露してくれました。実習終了後の限られた時間内でいつも見事な演出ができるものだと感心されられましたが、4月にはもじもじ小声だった生徒たちが心身とも鍛えられてきた成長ぶりを垣間見える瞬間でもありました。
一方、社員側の応援は新社員を中心に繰り出され、ユーモアを交えた演技で笑いを誘っていました。当然生徒たちの応援が社員より高い得点をたたき出すことになりました。何事にも全力で取り組む姿は、見ている者を感動させてくれます。
この運動会の決着は、毎年最終種目の「綱引き」までもつれ込みます。「力」の生徒と「結束力」の社員との勝負となりますが、昭和の時代は生徒側が断然強く、平成に入ると社員側が常に勝つようになりました。体重増のメタボ社員が増えて有利になったのか、草食系の生徒が増えた結果なのかは定かではありません。この運動会には社宅の奥さんや子供さんら家族で参加できるプログラムもあり、青天の祝日を一家で楽しめました。また、運動会の日には普段より豪勢な夕食が用意され、生徒たちを盛り上げていました。