なぜ青いまま収穫するのか
「桃太郎」開発のきっかけは1960年代後半にさかのぼります。
ちょうど高度経済成長期の真っただ中、東京オリンピックの後、急成長を遂げた日本の景観は急速に変化し、都市に隣接していた農村は次第に宅地へと姿を変え、産地は遠のいていきました。
当時のトマトはまだ果実が青い段階で収穫されていました。トマトは樹上で完全に熟したものを出荷してしまうと、輸送途中や店頭に並んでいる間にどうしても傷んでしまうからです。輸送の途中で赤く色づく方法では、店頭で赤い色をしていても、味や香りもないトマトができてしまうのは当然です。消費者の間で「トマトがまずくなった」と噂され、新聞や雑誌でも取り上げられ始めていました。
樹上で完熟させたい
完熟してから出荷しても傷まないトマトを作るには、実を硬くしてやればいい。発想は意外と簡単なものでした。他社でも完熟系の硬いトマトは発売されていましたが、あまり売れませんでした。それは赤色のトマトだったからです。赤色のトマトは加工用だというイメージがあり、消費者に避けられてしまうのです。トマト育成チームは、もぎたての甘さ、輸送に耐えうる硬さ、そして色がピンクであることを目標に開発の道を歩き出しました。
地道な品種開発
できるだけ硬い実をつけるトマトを求めて、まずは50種類ほどの品種を選び出し、考えられる限りの組合せを掛け合わせることからスタートしました。品種開発とは、それぞれ特徴を持った種子を掛け合わせて、求めるトマトへ近づけていくという地道な作業です。何千、何万とある品種の中から選び出し、交配を重ね、実際に栽培をします。1年に2回栽培をしても結果が分かるのは半年後。上手くいかなければ、再び組合せをやり直し、途方も無い時間がかかります。収穫期には、1日に100種類以上のトマトを食べ、食味を調べることもありました。開発を始めて6年目の1976年に、ようやく思い通りの実の硬さが実現しました。
「桃太郎」完成
硬さを出すことに成功した開発チームは、品種自体の甘さと肉質のよさを付加するため、再び何百という品種との交配を開始しました。1979年にやっと本格的な「桃太郎」の青写真が見えてきました。果実の硬さ、形の崩れないぎりぎりの肉厚、糖度6度以上、均一に熟していくこと、酸度とアミノ酸の含量などが「桃太郎」完成へのハードルとなりました。
1983年、完熟トマトを作るという最初のアイデアから長い年月をかけ、ついに新しいトマトが完成しました。最後の関門である社内の品種審議会でこれまでにない硬さに批判が出たこともありましたが、最終的には現社長の「それほど自信があるトマトなら売ろう」というひと声で発売が決まりました。開発者たちは涙の出る思いがしました。
かつてないプロモーション
1985年、完熟で出荷できるトマトはついに発売となりました。「誰もが知っている、フルーツ感覚の名前にしたい」ということから『桃太郎』と名づけられました。当時の会社広告費の50%を費やし、全国の生産者や市場関係者、種苗店、農協の方々に集まっていただき、試食会を開催しました。ひと口食べれば分かってもらえるという開発者たちの自信がそんな行動に走らせました。
新たな挑戦
耐病性と旨さの両立!「桃太郎ピース」
タキイでは、産地の要望に応え各種の病害に耐病性をもつ品種を次々開発してきました。
近年被害が拡大する黄化葉巻病についても耐病性を付与し、なおかつ初代「桃太郎」のおいしさを受け継ぐ品種「桃太郎ピース」や「桃太郎ホープ」を発表しています。
高機能性でおいしい!「桃太郎ゴールド®」登場!
トマトはリコピンなどの成分を豊富に含む健康野菜。これらは抗酸化性などの機能性をもつ成分とされ、現在世界中でこの分野の研究が進んでいます。野菜は「機能性成分を摂る」という目的からも注目されつつあるのです。
従来トマトにはない
シスリコピンを含む「桃太郎ゴールド」
「桃太郎ゴールド」は、従来の赤トマトに含まれないシスリコピンを含む橙黄色種。シスリコピンはリコピンより体内に吸収されやすいとされ、赤トマトより効率よく機能性成分を摂取できます。従来、黄色トマトは食味が劣るといわれてきましたが「桃太郎ゴールド」は、おいしさも抜群です。トマト臭の少ないさっぱりとした味わいは、多くの消費者に好まれています。タキイではこの高機能性とおいしさに特化した品種を「ファイトリッチ」と名付け、今後も充実を図っていきます。